今回は、宮古島・野原岳に残る霊石について話したい。
この霊石は、地域の歴史や祭祀の流れの中で重要な位置を占めてきたもので、現在もその姿をとどめている。
石の形状や配置、周囲の地形を見ても、当時の信仰や集落の構造を考える上で手がかりが多い。そのため、私自身の家系もこの一帯と関わりがあるため、土地の歴史を確認するうえでも避けて通れない場所である。

基本情報
- 所在地:沖縄県宮古島市上野字野原鏡原(野原岳南側中腹)
- 形状・材質:直径約110cm、高さ約135cmの円柱形。琉球石灰岩製
- 建立時期:およそ600年前(15世紀頃)
- 建立者:大嶽按司(おおたけあじ)──野原岳一帯を支配していた城主
- 目的・意味:大嶽城の守護神として建立。地域の安泰を祈願するための霊石信仰の対象。
- 元の位置:野原岳の頂上付近(北西側斜面)
- 現在の位置:米軍通信基地設営後、現在地へ移設
- 地元での呼称:「タマザラ御嶽(うたき)」として今も信仰されている
- 文化財指定:沖縄県指定史跡
- 関連遺跡:勝連城跡などにも類似の霊石信仰が見られる
父方が受け継いできた御嶽との関わり
父方の家系は、代々この地域の御嶽を守る神司として役割を担ってきた。
特別に語り継がれたわけではないが、土地の祭祀や祈りと深く関わる立場にあったことは確かである。
ゆえに、野原岳周辺の信仰を考える際、この家系が果たしてきた役割は無視できない。
父方の家系は、代々この地域の御嶽を守る神司として役割を担ってきた。
特別に語り継がれたわけではないが、土地の祭祀や祈りと深く関わる立場にあったことは確かである。
野原岳周辺の信仰を考える際、この家系が果たしてきた役割は無視できない。
祖母たちが担った祭祀とツカサンマの役割
父方の祖母たちはツカサンマとして、大嶽(霊石のある場所は「ウプダキ」という)周辺の祭祀に参加していた。
そのため、大嶽の麓にある祖父の生家があった場所には、現在も祖母たちが管轄していた御嶽が点在している。
地域の行事や祈りの場に立ち会い、日常の延長として信仰を支えてきた世代である。
祖母たちの姿勢は、私が後にスピリチュアルアウェイクナーとして活動する際の基盤となった。
理由のない祈りと、夜に見た光の記憶
幼い頃から、教えられたわけでもないのに、夜になると自然と岳の方角へ祈る習慣があった。
また、説明のつかない光を何度か目にした経験もある。
それらを特別視するつもりはないが、土地との距離感を考えるうえで無視できない記憶ではある。
大嶽按司とその子どもたちについて
大嶽按司は、野原岳一帯を中心に勢力を持っていた按司であり、地域の祭祀や集落の形成に関わった人物として伝えられている。文献が少ないのでどんな人物だったかは謎だ。
大嶽按司には3人の息子があった。伝承によれば
- 長男:ピギタリユーヌヌス
- 次男:知呂按司
- 三男:金丸按司
というようだ。
大嶽按司一族と14世紀の戦乱
14世紀半ば、宮古島では与那覇原の勢力が台頭し、大嶽按司の居城もその攻撃によって滅ぼされたと伝えられている。現在の城跡公園の東側に位置する御嶽が大御嶽(ウプウタキ)であり、ここには按司の長男ピギタリユーヌヌスが祀られている。戦乱の時代にあって、ピギタリは武に頼ることを避け、農耕に心を向けた人物として語られる。
兄弟たちの最期と野原村再興の基盤
与那覇原との戦いでは、兄弟のうち二男の知呂按司が東の門(中御嶽)を守って討ち死にし、三男の金丸按司は西の門(西御嶽)で戦い命を落とした。一方、戦いを好まなかったピギタリは平屋久嶺へ身を移し、作物の栽培や「ウプアラス原」の開拓に尽力した。この営みが、後に野原村が再び形づくられる際の基盤になったとされる。後世の人々は、こうしたピギタリの姿を敬い、「ユーヌヌス」として平屋久御嶽に祀った。周辺には前井・後井(ツガ井)、石畳道など、中世宮古の石工技術を今に伝える遺構が残る。
「知呂按司」は本当に“次男”だったのか
ここで一つ気になるのは、「次男」とされる知呂(チル)の位置づけである。私は、チルは実際には次男ではなく長女だったのではないかと考えている。「チル」という名が女性に多いこと、宮古特有の祭祀体系、そして女性が中心となる信仰構造を踏まえると、女性として位置づけた方が全体の整合性が取りやすい。 また、長男が生き延びて隠れていたという伝承には無理があるように思える。むしろ、女性であるがゆえに表に出ず、しかし重要な役割を担っていたと考える方が、宮古の歴史と信仰の文脈に自然に溶け込む。



この場所が“特別”だと感じる理由
野原岳のことを調べていると、どうしても私自身の体験と重なる部分が出てくる。たとえば、あのとき見たふしぎな光のことや、光を見た後闇に浮かび上がった宇宙人じゃない?と一瞬思ってしまうような出来事。あれらは単なる偶然だったのかもしれないし、気のせいだったのかもしれない。でも、この土地の歴史や祭祀の流れを追っていくほどに、あの体験が“場の力”と無関係とは思えなくなっていった。
この場所を「パワースポット」と軽く言い切るつもりはないけれど、訪れた人が何かを感じ取る可能性は十分にあると思っている。歴史と祈りが折り重なった場所には、説明しきれない力が宿ることがある。私が見た光も、あの奇妙な感覚も、その一端だったのかもしれない。
読者には、ぜひ一度この地に立って、自分自身の感覚で確かめてほしい。ここがどんな場所なのかは、きっと言葉よりも、風や光や静けさの中にこそ現れる。
WRITER この記事の著者
久遠迪知|くどうみちし
スピリチュアルアウェイクナー/カミツカサとして、沖縄の神んちゅの系譜に連なる霊能者です。 霊視鑑定歴は30年。ココナラでは長年プラチナランクをいただき、多くの方の人生に寄り添ってきました(2026年4月退会)。 オーラリーディングや前世リーディングを通して、魂のテーマ、家系の流れ、今世での課題を静かにひもときます。 霊視に基づく霊査レポートには定評があり、「自分の輪郭が見えた」「生きる位置が分かった」とのお声を多くいただいてきました。 不安をあおるのではなく、あなたの尊厳を守りながら、魂が本来の位置へ戻っていくための伴走者でありたいと願っています。。