沖縄最強のスピリチュアルな島 ― 久高島を歩く古琉球ジャーニー

古琉球の時代、この小さな島々には多くの按司が割拠し、覇権をめぐる争いが繰り広げられていました。
しかしその一方で、日本本土よりも早く東南アジアや中国、古代朝鮮との交易が行われ、海を介した文化交流が盛んに行われていたことが知られています。

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さらに古代ポリネシア民族(ラピタ人)の上陸もあったと考えられます。宮古島などのパーントゥもそうですが、古琉球にはこうした多様な民族の往来が祈りの場に影響しています。

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本部町の海洋博物館ではその痕跡をうかがい知ることができます。石の匠が築いた城跡、泉の湧き出る水場、そして御嶽の祈りの場は、単なる地域の遺構ではなく、古琉球が広く海を渡り、多様な文化を受け入れながら形成した精神世界の証です。
古琉球の精神文化を体感する旅に、魂の悠久の記憶が呼び覚まされる瞬間を楽しんでください。

久高島神々の起点

久高島は古来より「神の島」と呼ばれ、琉球王国の祭祀を支える中心的な役割を担ってきました。島全体が聖域として守られ、立ち入る場所や行為には厳格な決まりがありました。王国の祭祀はこの島を起点に組み立てられ、神事の中心として久高島は特別な位置を占めていたのです。

ここは「東御廻り(あがりうまーい)」、すなわち東方への祈りの道の象徴でもあります。太陽の昇る方向に神聖さを見出した古琉球の人々にとって、久高島は祈りの始まりの場でした。島の岬に立つと、海を隔てて東方へと広がる空と光が、祈りの方向性を具体的に示してくれます。

植物群と聖域の息吹

久高島の魅力は、島を覆う豊かな植物群にあります。
カベール岬までまっすぐに伸びる白い砂地は、光と風が交差する美しい道程です。
クバの杜を吹き抜ける風の中をレンタルサイクルでゆっくり走り抜けると、島の息吹が肌に触れるように感じられます。

観光スポットとして知られるフボー御嶽やカベール岬も素晴らしいですが、島の人々が大切に守ってきたパンフレットには掲載されていない祈りの場こそ、久高島の真の魅力です。
そこには琉球王朝時代の重要な歴史が刻まれ、静寂と厳かさが今も保たれています。

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私の本音を言えば、紹介されていないような場所は、自分の霊性と向き合いたい人以外には訪れてほしくない場所です。

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このコラムを読んで心に響いた人なら、きっとその場所に導かれるはずです
自分自身を調えたい、魂を救いたい、そんな風に思う人に届いて欲しい場所です。

カベールの杜

籠神社で聞いた久高島の記憶

ある年の暑い夏、もう15年ほど前のことです。仕事で元伊勢とされる籠神社のある京都府宮津市を訪ねました。神社近くに宿を取っていたので、天橋立と籠神社、そして眞名井神社を参拝することにしました。滞在時間は限られていましたが、どうしても参拝しておきたかったのです。

しかし、手違いで籠神社に到着したのは16時45分。沖縄の神社のようにいつでも参拝できるわけではなく、籠神社には17時という門限がありました。どうにか滑り込み、挨拶だけでもと手を合わせてお守りを購入していたところ、宮司が声を掛けてくださいました。沖縄から来たと伝えると、驚いた顔をしてちょっとした小話をしてくださったのです。

「私たちの祖先の中には、久高島からやってきた神様がいるんですよ。それで随分前になるけど、久高島のノロさんが参拝しに来たことがあるんだよ。沖縄特有のお供え物を持ってね」

そのお供え物は恐らく「ビンシー」と呼ばれるものです。

ビンシーとは

ビンシーとは、沖縄の伝統的な供物入れで、四角い木箱や竹製の器に神への供え物を納めるものです。米や塩、酒、海産物などを入れ、祈りの場に持参して神に捧げます。ノロ(神女)や祭祀を担う人々が儀礼の際に用いるもので、沖縄独自の信仰文化を象徴する道具のひとつです。

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久高島に抱く特別な思い

それから数年後、自治体の研修で久高島を訪れた際、観光コースには含まれていない「洞窟のある拝所」について地元のガイドに尋ねました。

最初は訝しげな表情を見せたガイドも、籠神社での出来事を話すと「昔聞いた話ではここに“アマベ”という人(神)が住んでいた」と快く教えてくださいました。

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私は籠神社の宮司の名が「海部(あまべ)」であったことを思い出し、鳥肌が立ちました。
さらに直近のセッションで、籠神社の主祭神である彦火明命について霊査を行った経緯もあり、この一連の出来事は私にとって偶然ではなく、深い縁として刻まれています。

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久高島に宿る古琉球の謎

古の僧侶たちは補陀落渡海と呼ばれる修行の果てに、南の海を目指しました。観音浄土が南方にあると信じられ、海の彼方に救いと悟りの世界を見出したのです。その思想は、久高島を起点とする祈りの方向性とも響き合います。

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「琉球」という響きには、龍宮を思わせる神秘が宿っていると感じます。籠神社との繋がりを知ってますます海の底に広がる龍宮の世界と、海上に浮かぶ久高島の聖域は、表裏一体のように結びついていることを実感するようになりました。

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久高島には、まだ解き明かされていない古琉球の謎が数多く残されています。祈りの場に漂う静寂、風に揺れる植物群、そして人々が守り続けてきた聖域。そのすべてが、訪れる者に「ここには何かがある」と直感させます。この島に立つたびに、古琉球の精神文化の深みに触れ、言葉では尽くせない荘厳さを感じずにはいられません。

イシキ浜

イシキ浜は、穀物の入ったツボが流れ着き、ここから琉球の穀物栽培が始まったという神話で知られています。しかし私がこの浜を特別に神聖な地として記したい理由は、そこに打ち上げられる丸い珊瑚石の存在です。
海底で数千年、あるいは数億年前に生息していた珊瑚が化石化し、鉱物化した石である可能性が高いその石は、触れると神秘的な力に包まれ、不思議な感覚を呼び起こします。それはまるで太古の地球、さらには宇宙と繋がるような感覚です。

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久高島はかつて海底にありました。その丸い石が打ち上げられたものか、もともと浜にあったものかは定かではありません。しかしシャーマンはこうした浜を「アギリューグ(陸の龍宮)」と呼びます。沖縄全域に点在する龍宮という拝所は、このイシキ浜こそが出発点、原点なのではないかと私は考えています。

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さらに、この浜はウミガメの産卵場所でもあります。他の浜では見られないこの石と、命を育む砂浜は、まさに龍宮信仰の象徴であり、古琉球の精神文化を体感する鍵となるものです。
浜の入り口には拝所があります。そこでご挨拶してから入りましょう。
※浜での遊泳は禁止されています。なお、この石は浜から持ち出してはならないとされています。ルールは守りましょう。

御先(うさち)

ウディ浜

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ウディ浜には、両極端のエネルギーが流れています。初めて訪れたとき、私は棺のビジョンを見ました。沖縄には戦前まで風葬を行っていた地域が数多くあり、久高島でも戦後すぐまでは続けられていました。

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そうした地域では十二年に一度、洗骨の儀礼が行われ、祖先の遺骨を清めてから厨子甕(ジーシガーミ)と呼ばれる屋根型の甕に納めていました。
もしかすると、この浜の近くにもそうした場があり、祖先の大切な遺骨を洗った神聖な浜であったのかもしれません。そう考えると、ウディ浜の美しい景色の裏には、祈りと死生観が重なり合う荘厳な歴史が刻まれていることに気づかされます。

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この浜で瞑想をする人を見かけることもありますが、私はむやみに立ち入ることをお勧めしません。霊的に敏感な人は障りがあることも多いので気をつけましょう。

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ここはただ美しいだけの場所ではなく、島民の祖霊と祈りが交錯する特別な場です。静かに敬意を払い、心を澄ませて向き合うなら、ウディ浜は恐れではなく荘厳さを感じさせてくれるでしょう。

ウチパーラ

フボー御嶽を過ぎ、ロマンスロードへと続く道の入り口にウチパーラがあります。ここは島の人々にとって祈りの場であると同時に、旅人にとっては「海の色を味わう場所」です。
ウチパーラから眺める海は、透明度が高く、陽光を受けて刻々と色を変えます。朝は淡い水色、昼は深い群青、夕暮れには金色を帯びた緑。まるで海そのものが呼吸をしているかのように、色彩が移ろいゆきます。
ここで立ち止まり、潮風を浴びながら海の色を見つめるとき、心に宿るのは「果報」。それは偶然の幸運ではなく、自然と人との交わりから生まれる静かな恵みです。ウチパーラは、久高島のスピリチュアルジャーニーの中で、もっとも爽やかに心を洗う場所です。

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もしかすると神事が行われていた王朝時代は、愛が生まれ深まる場所だったのかもしれませんね。

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カベールムイ

久高島の最北端に広がるカベールムイは、岬を含む神聖な杜です。ここには、かつてイザイホーに関連する重要な拝所が点在していたと伝えられています。その場所は公には明かされていませんが、時に不思議な導きに引き寄せられるようにして辿り着くことがあります。
神話によれば、琉球開闢の祖神アマミキヨがこの岬に降り立ち、国づくりを始めたとされます。海と空が交わる岬の先端は、まさに「始まりの場」としての象徴であり、古琉球の精神文化の原点を感じさせます。そして龍宮神である「タティマンヌワカグラー」が鎮まる場所とされています。
クバの花が咲き乱れる季節には、その甘い香りが森の中を満たし、まるで案内人のように訪れる者を導いてくれます。クバは神事に欠かせない植物であり、龍蛇神の依り代としても尊ばれてきました。その香りに包まれるとき、岬と杜は一体となり、祈りの空間へと姿を変えるのです。
久高島の中で最もエネルギーの高い場所です。ただ通り過ぎるのではなく、白い砂地で整えられた道、豊かな植物群、鳥や虫のさえずり、そして波や海風の音を堪能してください。きっと神々の招待を受けることができます。

クバの杜が結ぶ夢と現実―青島神社(宮崎県)と眞名井神社(京都府)

宮崎県の青島神社には、久高島のカベールムイを思わせるようにクバの木が群生しています。主祭神は彦火火出見命であり、これは籠神社の元宮である眞名井神社に祀られていた神と同一とされます。両者の響き合いには、古代から続く不思議な縁を感じずにはいられません。

夢の話

まだ眞名井神社の存在を知らない頃、潮の引いた浅瀬に赤い橋がかかり、その橋を渡るとお宮がある、という夢を見ました。入口の石碑(門)には「久志浜宮」と刻まれていました。
後に籠神社を訪ねた際、宮司から「この先に眞名井神社がある」と紹介され、実際に行ってみると、その神社の別名が「久志浜宮」であることを知り、夢と現実が重なった瞬間に深い驚きを覚えました。

籠神社の社伝によれば、現在伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、もともと「真名井原」の地に鎮座していたと伝えられています。この地は「匏宮(よさのみや)」とも呼ばれ、天照大神が四年間営んだ元伊勢の「吉佐宮」にあたるとされます。

白鳳11年(671年)、祭神が籠に乗って雪の中に現れたという伝承に基づき、社名は「籠宮(このみや)」と改められ、彦火火出見尊が祀られました。その後養老3年(719年)、真名井原から現在地に遷座し、海部氏祖の彦火明命を主祭神とし、豊受大神・天照大神を相殿に祀ったと伝えられています。

つまり元来この神社に祀られていた神は、青島神社と同じだったということになります。そしてどちらの神社にも浦島太郎に似た伝承が存在します。
青島神社のクバの杜、眞名井神社の久志浜宮、そして久高島のカベールムイ。これらは地理的に離れていながらも、神話と祈りの系譜の中で繋がり合い、古から変わることなく神が息づいているのを感じます。

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新たなレイライン ― 籠宮と龍宮の響き

久高島のカベールムイから始まる祈りの道は、海を越えて本土の籠神社へと繋がっていきます。そこで目にした「籠宮」という文字は、私には「龍宮」と重なって見えました。
実際に籠神社には浦島太郎と重なる「龍宮伝説」が存在します。龍宮は海の底に広がる神秘の世界、そして籠宮は雪の中に現れた祭神を祀る社。両者の響き合いは、まるで異界と現世を結ぶレイラインのようです。
そのレイラインは、祈りの場を巡る旅人に「ナチュラリー・ドローン」(見えないものの導き)を与えます。偶然のように見える夢や出会いが、実は古代から続く精神文化の糸に触れているのかもしれません。

久高島の洞窟アグルラキその他

久高島にはいくつかの洞窟が点在しています。未来仏で五穀豊穣を運ぶとされるミルク神(弥勒菩薩)が祀られている洞窟もあれば、「あまべ」という現人神が暮らしたと伝えられる洞窟もあります。
「人の始まり」と「果報」を象徴する場として、島の記憶に刻まれています。この二柱の神の存在はニライカナイそのものを表しているように思います。カベールの杜に鎮まるとされる、二頭の白馬に跨ってやってきた「タティマンヌワカグラー神」とこの二神は同じか、そうでなくても繋がりが深いことは想像できます。

ミルク神と龍宮神タティマンヌワカグラー

興味深いのは、弥勒とミトラは言葉の根源を同じくする存在とも言われていることです。弥勒(Maitreya)は「慈しみ」「友」を意味するサンスクリット語に由来し、ミトラ(Mitra)もまた「契約」「友情」「光」を司る神。つまり、久高島の洞窟に祀られるミルク神は、古代イランから伝わったミトラの面影を宿しているとも解釈できます。
さらに、ミトラ神は「洞窟から生まれた」とされることです。岩の裂け目から顕現し、光をまとって世界に現れるミトラの姿は、久高島の洞窟に祀られるミルク神(弥勒菩薩)、そしてカベール岬の彼方から太陽の光と共に降り立った二頭の馬と龍宮神タティマンヌワカグラーと重なります。

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「タティマンヌワカグラー」という神名を聞いたとき、ネイティブアメリカンにいそうな神様の名前だと思いました。マヤ文明にも登場しそうですね。実のところ無関係ではないと思っています。

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二頭の白馬久遠迪知が思う神「タティマンヌワカグラー」

古琉球には25代の王統があったとされていますが、その史実はほとんど残っていません。けれども港川人や山下洞人の遺跡が示すように、何万年も前から人はこの地に存在し、貝塚の痕跡からもわかるように数千年前には縄文人が久高島で生活していました。
その時代にもシャーマンはいたはずです。現代の私がそうであるように、彼らもこの場所でビジョンを受け取っていたと思います。聖地を訪れると、過去と現在が交錯するような感覚が訪れることがあります。霊が見えるというのとは少し違って、時空を超えてあちらのシャーマンと視線が合うような瞬間です。恐らく当時のシャーマンも同じ体験をしていたのではないでしょうか。
もし千年後に現実となる光景をカベール岬で霊視したとしたら—。
海の上を馬のように走り抜ける白い船(帆船)。そこから見たこともないような美しい着物をまとい、宝を携えて降りてくる人々。その姿をどう伝えたでしょうか。きっと彼らはその船を「二頭の白馬」として語り、ニライカナイという桃源郷を海の彼方に重ねたのだと思います。
二頭の白馬は、未来を先取りした幻視の象徴。久高島の古代シャーマンが見たビジョンは、やがて現実となり、琉球に新しい文化や宝をもたらしました。白馬は異界からの来訪者であり、未来を運ぶ船でもあるのです。
その航海技術を持って上陸したのが「あまべ」(海洋民族)だったなら、アマミキヨであったなら、シャーマンから口伝で継承していた幻視と時代の歯車があった時、その人物は現人神として語り継がれていきます。
そしてその現人神の霊知の中に龍宮神やミルク神があれば、カベールの杜のように美しいの自然の中に勧請したいはずです。
これが、私が霊査の中で感じた久高島の姿です。

懐かしさに出会うスピリチュアルジャーニーナチュラリードローン

久高島はすでに「神の島」として広く知られています。しかし、ただの観光地やパワースポットではなく、ここには琉球王朝が国家をあげて畏敬の念を捧げ、今も守り続ける理由が確かに存在します。
私は神んちゅとして30年近く霊界に携わり、久高島にも幾度となく足を運んできました。その度に、洞窟や岬、御嶽のひとつひとつから神々の構図を受け取り、島全体がひとつの大きな祈りの場であることを感じてきました。タティマンヌワカグラー神の白馬、洞窟に祀られるミルク神、そして洞窟から生まれたとされるミトラ神――これらは偶然ではなく、久高島が世界神話と響き合う「交差点」であることを示す布石なのです。
浪漫は尽きません。霊査で得たビジョンは、これからも語り続けるべき物語の断片を私に授けてくれます。久高島を訪ね、懐かしさを覚える旅人は、かつての人生の記憶がこの島に刻まれているのかもしれません。
久高島は、未来へと続く祈りの島。訪れる人は果報を持ち帰り、心に静かな光を宿すでしょう。

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沖縄聖地

Posted by kudomicchi238